家族シュミレーターで思い出の場所へ

春の花々が咲いている天気の良い日に、家族シュミレーターを訪れた。

今日は記者の夫も一緒に来ている。
というのも、夫が最近仕事帰りにのぞいてみたら、シュミレーターが進化していて、シュミレーターが想定する場面のほかに、思い出の場所にも行くことができるようになっていたのだ。

記者は以前から、自分が小学校の頃に放課後を過ごした場所に2人で行ってみたいと思っていた。
そのことを伝えたら、" シュミレターの中で子供に戻って、そこで過ごしたら楽しそうだね " という話になり、一緒に来たのだった。

脳がイメージした映像をそのまま画像にしてシュミレーションをすることは、まだ技術的に難しいため出来ないが、今回の改良で、シュミレーターに向かって行きたい場所の風景を説明すると、その音声を認識して絵を描くように映像が出現していくようになったのだという。こうして描かれた風景が、従来の家族シュミレーターと同様のシュミレーション画像になる。

夫と私は少し相談すると、共に小学3年生の3D画像の姿となった。

考えてみると、記者にとって夫は、小さな子供の頃から知っていたような懐かしい感じがする人だった。
夫も私と初めて会ったとき、どこかで会ったことのあるような気がして他人のようには思えなかったという。
こうして本当に子供時代を一緒に過ごすことになってみると、なんだか不思議な感じがしてくる。

記者は、よく放課後を過ごした当時の家の近くの野原を思い浮かべて、シュミレーターに話し始めた。
「 野原の真ん中には大きな木が2本、対になって立っていて、それを中心にして散歩道がぐるりと一周している。散歩道を歩いて行くと小さな森がある。」
そんな風に話していくと、その通りの光景が絵を描いていくように現れて、ほぼ自分の記憶と同様の風景が広がった。

その光景の映像の中で、対になっている木をふたりは一本ずつ登った。
そして隣同士の木の上でゆっくりと過ごした。

風が吹くと、葉っぱがこすれる音がする。周りに広がる草の緑は、風が吹き抜けると波のようにも見えてくる。

2人は、この先何をして遊ぶか話しあった。
野原の奥の小さな森で、もっと木登りしたら、田んぼの方面に行ってザリガニとりをしよう、カエルの卵もとってきて一緒に育てよう、
などなど、2人とも子供のころに実際によくやったことなので、シュミレーションで子供同士になっていても、あれこれ想像して話が盛り上がる。

対になった木から降りると、こんどは小さな森でたくさんの木に登った。
手足をかける枝が良いところにない難しい木も、夫は身軽に登った。私は、" こういうのに挑戦すると、よく落ちるんだよね〜 " と、ためらうが、思い切って登ってみる。
自力で登り切れない木では上から引っ張ってもらう。1人で登ったら行けないような高いところに行き、初めての高さから野原を眺める。

そのあとは、てくてく歩いて川に出た。川からまた歩くと田んぼが広がっていた。
このあたりで、2人はカエルの卵をとった。
持ち帰って育てると、たくさんのオタマジャクシが元気に泳ぐようになった。
日に日に大きくなるので面白くて、よく肩を並べてのぞきこんだ。

ザリガニとりもした。男の子はとるのも扱うのも上手かった。記者は、とことこついてまわっていた。

こうして、自然の中で思いっきり遊び、放課後を共に過ごした。

もっともっと遊んでいたかったが、シュミレーションもいつか終わりがやってくる。

「 1人の思い出を一緒の思い出にしたい場所にまた行こう 。」

そう話しながら、チューリップが並んで咲いている道を通り、家族シュミレーターをあとにした。

投稿日: 1970/01/01 09:00:01 (JST)

※本記事は、対象となっている事柄について、無限に広がる未来の可能性の中のたった1つを描いているに過ぎません。 ですから、決して記事の内容を鵜呑みにしないでください。 そして、もし本記事とは異なる未来を想像したのなら、それを別の記事として書いていただけると幸いです。 このプロセスを通じて、私たちは未来についての視野を広げ、未来の可能性を切り開いていくことができるでしょう。

コメント

写真: 昭和記念公園
(昨年4月撮影)

こでまり (日付:

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