投書:流行語UMに思う、日本人の弱体化への危惧

 近頃、UMという言葉がはやりのようだ。「上から目線」の略で、そういう偉そうな発言を指すと言う。確かにUMな発言は、自慢話と同じく、言う側は気持ちいいかも知れないが、言われる側は不快なものだ。

 ただ、思うのは、こういう一時的な不快を重視してコミュニケーションを閉ざしてしまうと、自分の殻に閉じこもってしまい、せっかくの成長の機会を逃してしまうことがありうる。賢い大人なら、例えば誰かが「ウチの馬鹿息子が一流大学に受かった」と自慢したなら「ほう、どうしたらそんなふうに出来るんですか」と問いかけて、ノウハウを吸収しようとするものだ。一時的な不快に勝る、長い目で見た快楽があることを知っているからだ。

 私は今までの75年という人生で、数々の難局に立ち向かってきた。そういった際には、友人・知人の助言によって救われたことが何度かある。これらも、一時的にはUMな発言になり不快だが、後にはそれに勝る快楽が得られた。企業などでは、お金を払ってまで「コンサルティング」という、しばしばUMな助言者たちを雇い、それによって成長している。

 とはいえ、UMが流行語になった背景には、長引く不況により、若者たちに明るい将来が見えないことも一因かもわからない。明るい将来が待っているとなれば、上司からの少々のUMにもへこたれないものだ。こうした不況を作りだしてきたのは我々の世代にも責任があるだろう。それでもやはり、「若者よ、UMを恐れるな、一時的な不快をバネにしてでも明るい将来をつかみとれ」とエールを送りたくなる。

(75歳男、無職)

投稿日: 1970/01/01 09:00:01 (JST)

※本記事は、対象となっている事柄について、無限に広がる未来の可能性の中のたった1つを描いているに過ぎません。 ですから、決して記事の内容を鵜呑みにしないでください。 そして、もし本記事とは異なる未来を想像したのなら、それを別の記事として書いていただけると幸いです。 このプロセスを通じて、私たちは未来についての視野を広げ、未来の可能性を切り開いていくことができるでしょう。

コメント

味わいのある記事だと思います。UMこそ大切にすべきだ、という観点は十分成立します。

オラクル (日付:

すごい!!
私の周りにもUMな方々が何人もいて、正直、聞くことに疲れていたので、この記事には脱帽です。

くまごろう (日付:

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