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書評:「あるもの探しの幸福論」(吉田健介著・アルティメット出版)

 「ないものねだり」、という言葉はずっと存在していたが、近年あちらこちらで言われるようになったのが、「あるもの探し」という言葉である。

 本書の著者は前書きでこう述べている。「日本では高度成長を経たあたりから、人々の欲望が際限なく拡大し、とにかく「ないもの」を追い求める日常を過ごしてきた。この、「ないものねだり」の風潮は、1980年代のバブルで、まさにバブルのように膨れ上がっていったのである。
 しかし、90年のバブル崩壊後の「失われた20年」、そして2011年の東日本大震災を経て日本人の意識も急激に変化した。この意識の大きな変化と同時に人々の意識に上ってきたのが「あるもの探し」という考え方である。これは、ないものを追い求めるのではなく、身近に既に存在している、価値のあるもの、意味のあるものを再発見し、そのことで幸せになろうという考え方である。」
 
 確かに、「逃した魚は大きい」とか、「釣った魚に餌はやらない」などの諺に代表されるように、人間というのはとかく、手に入れられないもの、手に入れられなかったものに興味が集中しやすい生き物である。しかし、それをずっと続けていると、いつまでも満足感が得られないのである。

 このような、人間のそれこそ本質的な欲望とも言える、「ないものねだり」が、「あるもの探し」へとシフトしつつあるのは、それこそ「環境の変化に適応する」という、これまた人間の本質的な性質から発することなのだろう。

 著者の幸福論には、それを極端に追求すれば、何かを求めて努力すること自体を否定しかねない面があるが、どうせ最初から「ないものねだり」なのが人間だ。少しくらい「あるもの探し」を徹底したところで問題はあるまい。

投稿日: 1970/01/01 09:00:01 (JST)

※本記事は、対象となっている事柄について、無限に広がる未来の可能性の中のたった1つを描いているに過ぎません。 ですから、決して記事の内容を鵜呑みにしないでください。 そして、もし本記事とは異なる未来を想像したのなら、それを別の記事として書いていただけると幸いです。 このプロセスを通じて、私たちは未来についての視野を広げ、未来の可能性を切り開いていくことができるでしょう。

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