最近の調査では、悪いことについては何でも人のせいにしようとする人が増えているという。若い人に限ったことではない。全年齢にこの傾向は及んでいる。
確かにそう言われてみれば、かつては街中で「すみません」と謝る姿が良く見られたが、最近ではそういう姿はめったに見ることできず、むしろ相手を怒鳴りつけたり、非難したりしている様子の方が目立つようになった。
以前の日本では何か悪いことが起きても、その理由が自分にあると考えることで成長が促されるという美徳が存在していたが、現在では、”非は常に他人にある”としてしまうことが、少なくとも短期的には、”ゲーム理論的”、すなわち自分にもっとも有利な選択であるという判断が働くことによって、上述の美徳は既に過去のものになったようだ。
この背景には、国際社会において自国の非を認めずに他国の非をなじるやり方が横行していることを個々の国民が学習してしまったことがあるのではないか、と国際政治学者の大海四郎氏は言う。
確かに、争いの場においては自分の非を認めずに相手の非を非難するのが常道である。しかし、こういう争いベースのコミュニケーションを取っていると、真の信頼関係がいつまでも生まれず、長期的には結局損する可能性が極めて高い。また、いつまでも自分が成長しないことによる不利益も想像以上に大きいと思われる。
現在のような世知辛い世の中で、なかなかバランスを取るのは難しいが、少なくとも自分の心の中では自分の責任を認め、それをフォローしていく努力は続けるべきだろう。
投稿日: 1970/01/01 09:00:01 (JST)
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