100年前の報道映像に触れて考えたこと

(小学校6年・男子) 
 僕は昨日、お父さんと一緒に図書館のニュースアーカイブを見に行きました。

 
 今年はオリンピックの年です。夏休みの間オリンピックをテレビでずっと見ていました。今年は初めて冥王星で行われた記念すべき大会でした。無重力と人工重力の会場の違いがものすごくおもしろかったです。トランポリンは何かの手違いで最初無重力会場に設置されて、これじゃあできないと選手が怒ってストライキになりました。競技をちゃんと知っている人がだんだん少なくなっているようで心配です。

 最初はこの無重力会場のことを自由研究にしようと思ったのですが、お父さんから「100年前、東京でもオリンピックが開催されたのだよ」と聞いて、僕はそのことを知らなかったので、そのことを調べることにしました。
 「一度東京に決まったのだが、刺青問題で一度開催地を返上して、その後知事がそれを撤回して、やっと開催にこぎつけたんだよ」とお父さんは言いました。とにかくいろいろ大変だったことが分かります。

 図書館のお姉さんに聞いたら、「本番ももちろんですが、オリンピック招致のための活動がとても大変で、国民一丸となって行ったそうです。だからまず招致活動から調べたらどうかしら」と目からうろこのアイディアをもらいました。確かに本番のことは誰かが自由研究にしそうだけど、今はもうやっていない誘致活動について調べた方がおもしろそうだと思い、そっちにすることにしました。

 昔の映像は今よりだいぶ荒かったけど、僕らの英雄、フェンシングの太田選手の顔が分かってうれしかったです。僕も学校で電磁サーベルの授業を受けているからです。僕は武田信玄と太田選手を人生の師だと思っています。
 プレゼンテーションではたくさんの選手や、役員の人が熱烈に東京の魅力を語っていました。しかしかなりの部分が外国語でしかも日本語通訳も古語だったのでお父さんと一緒に何度も辞書を引きながら映像を見ました。
 とても偉そうなおじさんが「東京に投票して下さい!東京に投票して下さい!」と捨て身のスピーチをしていたのがすごかったです。この数年前、日本は東日本を中心に恐ろしい地震と原発事故でひいひい言っていたので、元気づけるためにも東京でオリンピックをやるべきだと考えていた人が多かったそうです。

 プレゼンテーションの後、質疑応答になりました。ここで首相は原発事故や放射能汚染のことについて聞かれ、具体的な数字をだしてきっぱりはっきり東京は安全だと言いました。この断固とした態度が招致の決定打となったとアーカイブの解説に書いてありました。
 さらに首相は「新聞のヘッドラインではなく、事実を見てほしい」と言っていました。僕は新聞は事実を伝えるものだと思っていたので、100年前はそうじゃなかったのか、ガセばっかり流していたのかと驚いてしまいました。文脈の取り違いかもしれないと思って、古語辞典も使って調べましたが、やっぱりそう言っていました。これでは新聞がうそをついているように思えます。

 きっとこの発言には新聞社が怒ったに違いない、と思って関連の記事を探しましたが、1件もありませんでした。未来新聞だけが「ええ、うちはもとから未来について書いているので今現在の事実ではありませんが、何か?たまにガセとか言われちゃうこともありましたね。まあ、未来はどうなるか分かりませんから騒いでも始まりませんな」って短いコメントを出しているだけでした。僕の文脈の取り方がなにか間違っているのでしょうか。古語はむつかしいです。

 今は新聞は本当に、本当のことしか伝えていません。事実を知るために新聞を読む、という習慣がない時代だったのかもしれません。図書館で調べたら、今は新聞は2面ですが、昔は40面くらいあったので、ガセも書かないと紙面が埋まらなかったのかもしれません。とにかく、大人になってタイムマシンの免許が取れたらすぐに確かめに行きたいです。

投稿日: 1970/01/01 09:00:01 (JST)

※本記事は、対象となっている事柄について、無限に広がる未来の可能性の中のたった1つを描いているに過ぎません。 ですから、決して記事の内容を鵜呑みにしないでください。 そして、もし本記事とは異なる未来を想像したのなら、それを別の記事として書いていただけると幸いです。 このプロセスを通じて、私たちは未来についての視野を広げ、未来の可能性を切り開いていくことができるでしょう。

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