「あ、こちらになりますね...」そう言って埃がかかった古いコンピュータを取り出したのは、東京都墨田区に住む因田根人さん、102歳。インターネットを初期から利用している「インターネット老人」の一人だ。因田さんが取り出したコンピュータは「98NOTE」。1989年、因田さんが1歳の時に、因田さんの父が購入し、物心がつく前から弄っていたという。当時はMS-DOSが主流の時代。「小さい頃は純粋に楽しいなと思いながら弄っていましたね。当時はインターネットのことは知りませんでしたね」と、因田さんは思い出す。
そんな中、1995年、因田さんが小学校2年生の時にWindows95が発売される。「休日だというのに朝5時半に起こされて、何だと思ったら画期的なパソコンが出たので一緒に買いに行くぞと。当時は田舎に住んでいたので、東京に開店までに行くには6時前に家を出なければいけなかった。それで東京の電気屋さんでWindows95が搭載されたパソコンを買って、家に帰ってきたんです」と、因田さんは振り返る。因田さんが驚いたのは、それまでのパソコンとは違い、アイコンなどを活用した直感的に操作できるインターフェースである。子供心にこれは分かりやすくなったと感じたという。夢中で操作していたら、父親に「インターネットをやってみないか」と誘われた因田さん。インターネットとは何かと聞き返すと、「世界中のコンピュータを全部繋げて、誰とでもやり取りができるのだ」と返された。何だそれ、今すぐやりたいと返すと「プロバイダーという会社と契約しないとできないから、もう少し待ってな」と言われた。「それまでの間はワクワクして夜もよく眠れませんでしたね」と因田さんは懐かしむ。プロバイダーとの契約が済み、11月の初めにはインターネットに接続できた。初めてインターネットに接続したときの喜びを、因田さんは95年経った今でも忘れることができないと話す。「ピーピョロピョロピョロ、という独特の音がして、いよいよ始まるんだという思いになった。最初に見たのはMicrosoftのホームページだったと思う。表示された時には思わず拍手をしましたね。当時はサイトのデザインも単純で、日本人でウェブサイトを開設している人も少なかった。だから父と一緒に辞書を引きながら、英語のホームページを読んだりしましたね。それで、『電話代がすごいことになるから今日はこのくらいな』と言われたりも。当時は定額制なんてありませんでしたから」と、100歳を超えているとは思えない朗らかな口調でまくし立てた。
因田さんはその後、インターネットの発展と共に成長し、高校生になた2003年にはホームページ作成ソフトを購入し自分のホームページを作成した。「作るのは大変でしたけどね、アクセスカウンターの数字が10、20、30と増えていく。それが面白くてね、病みつきになりました」と因田さんは語った。同じ頃にはインターネット上の掲示板、2ちゃんねるに毎日のように書き込むようになり、インターネット上の文化にすっかり慣れ親しんだ。因田さんは自分の成長を形作ったコンピュータについて学びたいと考え、大学で情報学を専攻した。大学1年生の時に因田さんはFacebookのアカウントを作成した。「今までの匿名掲示板とは違って、実名で現実世界の人物とインターネット上で交流する。これは面白かったですね」と語る。その後も、Twitterなど次々と登場するSNSに因田さんは心を踊らされた。大学3年生の時にiPhoneを購入。「当時は日本ではスマートフォンは普及しないなんて言われていましたけど、結局どうなったかは明らかですね」と因田さんは苦笑い。因田さんが社会人になった後の2015年、2000年頃のインターネットを振り返るという催しが開かれた。そこでインターネット老人という言葉に出会った。「当時はまだ20代で、当然老人と呼べるような歳じゃなかったんですけど、私にはこの言葉がしっくり来た。同世代の方と沢山語り合えましたね」と因田さんは懐かしむ。
因田さんは2016年に結婚、2018年に一児の父となった。2020年にCOVID-19の影響で在宅勤務となり、家にいることが多くなった因田さんは、息子がタブレット端末を当たり前のものとして使いこなしている姿に驚いたという。「まだ2歳の子供ですよ。インターネット老人からすると、本当のインターネットネイティブの価値観は衝撃的でしたね。『なんで触っても動かない画面があるの?』とかいうんですよ」ということである。その後も、生成AIの普及や学校現場での一人一台端末の普及、VRやメタバースの普及、ウェアラブル端末・インプラント端末の普及、更にはシンギュラリティと、情報技術の進化を目の当たりにしてきた因田さん。2056年に初めての孫ができた因田さんは、孫を見に行くと「シンギュラリティネイティブ」が人間と人工知能を分け隔てなく扱う姿に驚いた。2061年に定年退職してから、因田さんはインターネットの歴史を扱う書籍を出版したり、様々な時代のコンピュータを展示する博物館を開いたりと、自身の体験を次世代に受け継ぐ活動をしてきた。その一方で、かつて語り合った「インターネット老人」は本当の老人、後期高齢者となり、やがて寿命を迎えて仲間は減っていった。「いや、まさか自分が102歳まで生きるとは思っていませんでしたよ。長生きしたからには、やはり自分の経験を伝えていくという責任を与えられたということではないでしょうか」と苦笑いする。
最後に若い世代に伝えたいことを聞くと、因田さんはこのように答えた。「当たり前のことでも当たり前じゃない、誰かが作っていったものなんだという感覚を持って欲しいですね」
(このインタビューは2090年7月27日に行われたものです)
投稿日: 1970/01/01 09:00:01 (JST)
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