日本においてこれまで求められてきた人材には、「知識が多い人」、「頭がいい人」、「優秀な人」などがあったが、近年求められ始めた人材に「自ら決められる人」というのがある。
これは、日本が現在、過去から先送りしてきた問題に決断を下して解決したり、あるいは国際社会の中で自らのあり方を自分たちで決定しなければならないフェーズに入ってきていることが背景だと言われている。
振り返ってみれば、2010年の夏から秋にかけての中国との尖閣諸島問題やロシア大統領による北方領土訪問などの際には、菅首相をはじめとする政府首脳はきっちりとした決断を下すことができず、中ロの次々と繰り出す手に対して決定が遅れ、受身のまま彼らに有利な展開を余儀なくされたのは記憶に新しい。あのとき決定力がある首脳が日本にいれば、事態はかなり変わっていたに違いない。
もちろんこのような、「決定」や「決断」をする能力は、政府だけでなく、企業内においても同じである。日本の企業では、中国やインドなどの台頭や、消費者ニーズの急激な変化などを背景に、過去の事業モデルの踏襲だけでは利益を上げるのが難しくなってきており、日々新たな決断を迫られる場面が増えているのだ。また、記者はサッカーファンであるが、サッカーにおいても歴史的に日本の決定力不足は明らかだ。
そして、日本人が決定力を身に付けるためには、自分で目の前の未知の問題に対して決断を下していく地道な訓練が必要であり、それは過去の日本の教育では十分ではなかった。過去においては知識をインプットする教育が主だったのだ。これからは知識をインプットするだけでなく、その知識を使って、決断を回避したり責任を逃れるのではなく、自ら決断する能力を訓練するべきである。(神奈川教育新聞社説)
投稿日: 1970/01/01 09:00:01 (JST)
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