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「最後の晩餐」サービス始まる

 「人生の最後に何を食べたいですか?」という最後の晩餐質問。ズワイガニだったり、虎杖浜のたらこだったり、近江牛だったり、人それぞれ。しかし、実際「その時」に備えて最後の晩餐を準備している人はどれだけいるのだろうか?

 季節によって所在地を変える不思議なレストラン「さいはて」が「最後の晩餐手配サービス」を始めると発表した。そもそも「さいはて」とはどんな店か皆さんご存知だろうか。常にミシュランガイドで三ツ星を獲得するが所在地は「不明」メニューは「その時に出せるもの」連絡方法は「電報のみ」となっている。レストランさいはてに電報を打ちたい、と旧電電公社に依頼すると電報が発信される仕組みで、それ以外のことは全く分からない。訪問した客もそこで食べた物や見た物については一切語らず、ミシュランガイドになぜ載っているのかも不明である。
 予約がとれたかどうかは、これまた電報で知らされる。店主が電話、メールを極度に憎んでいるからである。

 「繁忙期は予約が取りづらく、電報が10往復することもある。その間に移転してしまうこともあるので注意。さいはてからの電報には迅速に返事をすることが肝要」とミシュランに書かれている。完全予約制のため偶然さいはてを見つけても入れてはもらえない。

 筆者も取材のために一度だけさいはてに行ったことがある。北海道のまさにさいはてに小さな家がぽつんと建っており、ロシア語で「さいはて」と書いてある小さな看板がドアにかかっていた。ロシア語を読めなければまずここが店だということすら分からなかったであろう。さいはて訪問経験者に聞くと「ロシア語ではなく、ポーランド語だった」「いや、エスペラント語だった」「いや、古代ギリシャ語だった」「そんなことはない。亀甲文字だった」とさまざま。看板も変幻自在らしいのだ。
 場所も人によって異なる。北海道が多いが、北海道の中でもあちこち移転しているようだ。また南では熊本、岡山、愛媛あたりが多く、これは店主の気分によるものらしい。また移転の際、土地を更地にしていくので、そこに店があったことすら分からなくなってしまう。移転のお知らせはなぞなぞになっていて、小さなその看板を見つめて三日三晩考え込む人も少なくないという。

 さて、筆者がさいはて感たっぷりの、周囲になにもない岬にぽつねんと建つ家のドアをノックすると初老の女性店主が現れた。予約の証拠である電報を見せると頷き、無言で中に通された。しかしそこで見たこと、食べた物については本当に紙面に書くことはできない。とにかく、得難い体験をしたとしかいいようがないのである。

 夏になると気まぐれにバンドがやってきて生演奏もするという。そのバンドが来るのを店主が忘れていてうっかり移転してしまい、バンドが途方に暮れたこともあったそうだ。そんなことがあっても店主は「いつも、もっと、もっといいさいはてがあるに違いないと思ってしまって、つい移転してしまう」とぼやいていた。

 今回さいはてが始めるサービスはさいはてが認定した常連客が対象。何度か通ったのち、女性店主が「最後の晩餐のご希望は」と尋ねてきたらそれが常連認定ということになる。申込用紙に、産地や銘柄など詳細に情報を書き込んでおく。女性店主が見積もりを取り、送料含め実費をあらかじめ支払う。万一希望の品が異常に高騰した場合は追加料金を支払っておけば、十分な分量を確保すると言う。もし最後のときにその銘柄のものがなくなっていたら、もっとも近いと思われるものを女性店主が世界を駆け巡って探してくれるという。

 また「母の肉じゃが」といった非常に個人的メニューにも対応。この場合はサービス申し込み時に「母」が生きていることが条件。母の料理をさいはての地下工場でフリーズし、最後のときに解凍して食べることができる。
 嗜好の変化にも対応し、その際は電報で変更を申し込む。

 ただし、申し込み時に女性店主の気に喰わないものを希望すると、容赦なく却下されることもあるので注意が必要だ。例えば「ローリングエッグマスターで作った卵焼き」は店主が卵焼きと認識していないので認められない。一方で「晩餐というからにはコース料理も受け付ける。先日はロブションのフルコースを高級ワインとともにお届けしました」という柔軟性もある。

 いよいよ最後と思ったら、「旧電電公社に連絡してさいはてに電報をうってください。本文は、バンサンタノム です」と周辺の人に頼む。その際の電報代はさいはてが負担する。その電報を見るとさいはての店主がバインダーに閉じた申込用紙を手でめくって探す。店主はパソコンを憎んでいるので電子データで検索などしない。あいうえお順のインデックスを頼りに情報を探す。
 さて品物が判明すると、すぐに希望の品を希望の場所へ届ける手配をしてくれる。しかしこれは1度きりのサービスなので、運よく息を吹き返してしまった場合は、またさいはての常連になるところから始めなければならない。

 父親が最後の晩餐サービスを受けたHさんは「父はもう何も喉を通らなくなっていたのですが、約束通り白老牛が届きそれを焼く香りをかぎながら安らかに旅立ちました。本当にすばらしいサービスです。父は常連になるまでがとても大変だったと申しておりましたが、私もぜひさいはての常連になるまでがんばりたいです。まだ1回しか行ったことがないので…」と語った。

投稿日: 1970/01/01 09:00:01 (JST)

※本記事は、対象となっている事柄について、無限に広がる未来の可能性の中のたった1つを描いているに過ぎません。 ですから、決して記事の内容を鵜呑みにしないでください。 そして、もし本記事とは異なる未来を想像したのなら、それを別の記事として書いていただけると幸いです。 このプロセスを通じて、私たちは未来についての視野を広げ、未来の可能性を切り開いていくことができるでしょう。

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