本書は、これまでのいじめ防止の論とは全く違うコンセプトの、大胆で新しい視点を提供している。
著者は、これまで長年に亘って使われてきた、某新興○○の勧誘方法を真似ることこそが、いじめ防止に役立つという。
これはどういうことか?
某新興○○では、新たなターゲットを見つけると、「人類は汚れている」と思い込ませるビデオを見せ、がっくりさせたところで、「でも、××氏の教えを信じ、実践すれば救われる」という内容のビデオを続けて洗脳するという。この手法は何十年も行われ、ある意味歴史の研讃を経たやり方だ。
著者は、いじめについてこの理論を応用するには、まず人類の、あるいは日本の極めて厳しい未来の現実を子供たちに思い知らせ、がっくりさせることが肝心だという。そして、子供たちが希望を失いかけた後に、その厳しい現実をも乗り越える方法があるがそれは何だろうと問いかける。子供たちに考えさせた後に、その答えを提示する。答えはたった1つ、「友達を沢山持つこと」であり、「今はヘタレで無力な友達であっても、君の命を救う、未来の命の恩人になるかもしれない。」というような内容を子供たちに話すことが大事だという。
著者は、「発展途上国の方がいじめが少ないのは、厳しい現実を生き抜く中で、友達の大切さを身にしみて知っているから」と説く。その意味ではわが国の子供たちは、まだ厳しい現実を突きつけられる度合いが少ないのかもしれない。
また、著者に言わせると最近の子供は、先鋭化する資本主義の影響をもろにかぶり、何でも損得で判断する傾向が強い。だから、「いじめはすっきりするから得」ではなく、「いじめは未来の自分の生き残りの可能性を下げるから損」という損得勘定を叩き込むのは、抽象的な命の価値を説くよりは効果的だと言う。
素直に「そうだ」とは言いたくないが、一理ある。
この本のあとがきも興味深い。
「今という時間も大切だが、その価値は、未来に対する想像力がなければ分からない。その意味で我々は『今だけを生きる』ことはできない。『今』は、『過去』と『未来』の狭間にある観念であり、この双立する両者についてのイマジネーションを持たなければ、この瞬間的な時間を最大限に生かすことはできないのだ。いじめもまたしかり。『今』のこの刹那だけを生きる感覚こそが、いじめの原点にある。子供たちが、全てのクラスメイトは厳しい未来を生きるための仲間なんだと心底思えるようになれば、いじめは大きく減るだろう。」
著者は近く、「未来志向の結婚論」を上梓するという。また大胆な考え方を見られるのだろうか?内容に期待したい。
投稿日: 1970/01/01 09:00:01 (JST)
※本記事は、対象となっている事柄について、無限に広がる未来の可能性の中のたった1つを描いているに過ぎません。 ですから、決して記事の内容を鵜呑みにしないでください。 そして、もし本記事とは異なる未来を想像したのなら、それを別の記事として書いていただけると幸いです。 このプロセスを通じて、私たちは未来についての視野を広げ、未来の可能性を切り開いていくことができるでしょう。
訂正:あとがきのはじめのところ。「今という時間も」→「今という時間は」
訂正:あとがきのはじめのところ。「今という時間も」→「今という時間は」
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